ネットで生きる準備を

ネットで生きていこうと決意するとき、心の中で決めなければいけないことがあるように思います。
それは、ネットに自分の分身を構築する上で大切なものだと感じています。
それは、ときに自己プロデュースのために機能し、ときに自己防衛のために機能します。

自分は誰なのか

ネットに「自分」を構築するとき、どこまで現実世界の自分を背負っていくのかということは、しばしば問題になります。

自分の会社を公表すれば、会社に影響が出ますし、契約違反をすることもあります。
ブログが流行したときには、米で「ブログで会社を辞めました」という人々も現れました。
また、特徴的な肩書きを公表しているがゆえに、多くの読者から注目されたり、自分の記事に説得力を出すことができたりもします。

たとえ肩書きを出さずとも、文章の内容・構成・言葉遣いで、様々な読者がネットの「自分」を想像します。

多くの場合、サイトに掲載してある少しの情報から、読者たちはネットの「自分」を想像します。

この想像が、あるときはプラスに働くこともありますが、あるときにはマイナスに働くこともあるのです。

何を公表するのか

公表するものによって、ネットの「自分」は様々な形に解釈されます。

ある特定の分野のみに焦点をしぼって記事を書けば、ネットの「自分」はその分野の専門家になることでしょう。
しかし、記事の分野をせばめることは、自由な執筆活動に制限を付けていることになりますので、気ままな記事の更新はできなくなるはずです。

また逆に、様々な分野にちょっとずつコメントを書いていけば、「多趣味な人物」とか「いろいろなことに興味がある」ととらえられるかもしれませんが、何のサイトかわからなくなります。
その代わり、あなたの思ったことをそのまま書くことができる利点は、ネットでの活動を楽しく・長いものにしてくれるでしょう。

どこまで公表するのか

もしあなたが、自分自身の私的なサイトを運営していたとき、自分の家の住所をのせたりするでしょうか。
多くの人は「危険だから」掲載したりはしないでしょう。

住所は極端ですが、おそらく、何をのせても大なり小なり危険があるはずです。

とても貴重な情報を手に入れたので、自分のサイトで公表してみたところ、それは自分の勤めている企業の情報であった。
専門分野外の話題に余計なコメントをしてしまい、非難を浴びてしまった。

マイナスな面というのも挙げてみればキリがないのですね。

ですが、ネットに自分の考えをのせるということには、素晴らしい利点があることも忘れてはいけませんよね。

ネットで面白いものを公表すれば、多くの人たちが喜んでくれますし、努力していれば、がんばる姿を応援してくれもします。
ネットに呼びかけることで、世界中の人々が呼応し、多くの人々とつながることができるということは、まさに現代を生きる人々の利点です。

公表する範囲をよくよく考えて、多くの人々と良い影響を及ぼしあえるようにしたいですね。

自分のサイトは自分の何なのか

自分の持っているサイトというのは、リアル世界の自分をネット上に構築した、言わば自分のコピーです。

それゆえに、大切にしたいものですし、かわいいものです。

しかし、コピーはコピーです。いくらでもやり直しができます。

自分のサイトが、自分の想像を超えた汚いコメントで埋め尽くされたり、悪い風評が飛び交うこともあるかもしれません。

しかしそれも、きっと今までのような正常の頃のサイトに直せるはずです。

リセットはいくらでもできます。

だから、少しずつ、いろいろな方法で自分のネットでの生き方を見つけて、自分のスタンスを手に入れることが大切だと思います。